終わった…

1月後半の怒涛の研修シリーズ(何じゃ、そりゃ?)が終りました。ホッ…

それぞれ楽しくもあり、反省点もあり、思うことはたくさんあります。中でも一番印象的だったのは、ある小学校での研究授業でした。6年生の授業で、Warm-up としてセカオワの Dragon Night を歌っていたのですが、子どもたちが完璧な発音で全員が堂々と歌っていた…というのであれば逆に授業そのものを高評価するのではなく、子どもたちに感心しただけで終わっていたかもしれません。印象に残ったのは、子どもたちの歌声ではなく(それも素晴らしかったのですが)彼らの姿を通して見えた先生方の指導の在り方でした。

研究授業、しかも私のような外部講師が来るとなると、どうしても授業者は見栄えのするものに走ってしまいがちですし、歌一つを取っても児童にとって習得途中のものを見せるのではなく、彼らがかなり自信を持って歌えるものを選曲してもおかしくはありません。ところがこの日の授業は違いました。そもそも小学生が歌うには歌詞の英語もリズムも難しいですし、フルコーラスで歌うと長い曲です。完璧に歌わせようと思うと、おそらくほとんどの先生は英語の歌詞を印刷して配り、そこにカナをふる(あるいは児童にふらせる)でしょう。

このときの授業では、途中でリズムが早くなるところはきちんと歌えていない子の方が多かったくらいです。それでも彼らの歌声が消えることはありませんでした。ほとんどハミングに近いような、つまり言語としての英語は私の耳に届くことはなく、彼らなりにリズムとメロディーを保ったまま、何となくモゴモゴと歌っていました。「どうせ歌えないからいいや」といった空気は微塵も感じられませんでした。むしろ子どもたちからは「今は全部歌えないけど、カッコよく歌えるようになりたい…」そんな気迫さえ感じられました。担任の先生が日頃から完璧に歌うことを目指すのではなく、「歌えるところから歌ってみよう」「まずはリズムに乗ってみよう、歌えないところは何となくでいいからまねしてみよう」、そんな指導をされているのではないかと思いました。

児童はCDの音源だけを頼りに歌っていたわけではなく、パソコンから大型テレビに映し出される英語の歌詞を見て、カラオケに合わせて歌っていたのですが、テレビに映し出された歌詞の字幕がまた見事でした。この学校では他校の高学年よりやや進んだ文字指導が行われているそうですが、児童が Dragon Night の歌詞をすらすら読めるほどにはなっていません。カラオケボックスにあるような、歌詞の文字が1行に並んで歌に合わせて文字の色が変わる、という凝った仕掛けではなく、テレビ画面の上から下まで数行にまたがって映し出されていました。歌の進行に合わせてページが変わり、次の画面にまた新たな数行が映し出される、という仕組みになっていました。

この歌詞の改行の仕方がこれまた秀逸で、意味や音のかたまりごとに絶妙に改行されていました。こんな風に意味のかたまりが視覚と聴覚の両方でインプットされていたら、中学校に入った後のリーディング力にもプラスになるだろうな、こういう教材を作れるなんて凄い!!と感激しながら授業を参観していました。

授業後の協議会でわかったことですが、同じ校区の中学校の英語の先生がこの字幕を作ってくださったそうです。中学校でリーディングの指導をされている先生だからこそ、カナをふったり一つ一つの単語の発音を教えて歌えるようにするのではなく、まずは意味のかたまりや音のつながりを大事にして、視覚的にも子どもたちに示されたのでしょう。改行のしかたが見事だった理由がわかりましたし、こういう形で中学校の先生が小学校の外国語活動に関わり、黒子のごとく小学校の先生方の支援をされているという実践を伺って鳥肌が立つ思いでした。小中連携の英語教育で、中学校の先生の関わり方としてよくあるのが「出前授業」ですが、時間割の調整はそう簡単ではありません。実際の指導に関わらなくても、こんな風に準備段階で中学校の先生の視点を活かせる方法があるんだな~、としみじみ思いました。

ちなみにこの日は担任単独指導の授業で、授業者の先生は昨年度まで、私が過去19回お邪魔している島の小学校にいらっしゃいました。そのご縁で今回の研究授業の講師としてお声をかけていただいたことに深く感謝しています

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