こちらもシンプルに…

年度末が近づき、あちこちの学校では研究のまとめの時期に入りました。私も研修の講師としてお邪魔すると、先月あたりから「来月は1年のまとめの研究発表があって…」というお声があちこちから聞こえてきます。

私の場合は1年あるいは2、3年かけている研究の中の、ほんの一瞬だけのお手伝いに過ぎないことが多いわけで、そんな私がとやかく口を出すのは差し出がましいと思いつつ、ちょっと気になることを書きます。もしかしたら日々研究のために頭を悩ませ奮闘していらっしゃる先生方からはお叱りを受けるかもしれません。

先生方のお声を黙って聞いていると何のための研究なのか疑問に思うことが少なくありません。極端なことを言えば、その研究が子どものためではなく「発表のため?」「教師の業績のため?」「目に見える成果を出すため?」と思えてしまうのです。紀要に載せる文章は、ある程度は格調高いものでなくてはいけないのかもしれませんが、難しい文言を並べて、物事をかえって複雑にしているようにも見えます。

はっきりと目に見える成果が出なかったとしても、失敗があったとしても、研究によって得たものがわずかでもあって、それが次年度以降の指導に活かされるのであればそれでよし、というわけには行かないのでしょうか。しかも「研究」という以上は、そっくりそのまま真似できないとしても、他の教員、他の学校、他の自治体でも活かせるものであるべきではないでしょうか。たまたま設備や指導者などの条件が特別に恵まれていて、その成果を発表したところで、それは研究ではなくただの自慢にしかならないと思うのですが…。

さらに年度末の研究発表に研究授業が組まれていると、どうしても「見栄えのよい授業」に走る先生方の何と多いことか。立案の段階で相談を受けると、どう考えても児童にとってハードルが高すぎたり45分で実施できる内容ではないのに、「これを45分で子どもにさせるために何かよい方法はありませんか。」と尋ねられることがありますが、そんな付け焼刃みたいな授業に子どもたちを付き合わせることはできません。言えるとしたら「指導案そのものを作り直した方がよいですよ。」か、せいぜいアクティビティの代案を差し上げる程度でしょう。でもその代案はあまりにもシンプルすぎて(見栄えがしないので)、授業者から却下されることがほとんどです(本当は、一番言いたいのは「もっと肩の力を抜いたらどうですか。」なんですけどね。)

当ブログでもゲームやアクティビティをシンプルに、ということを過去に何度か述べてきています。同様に研究ももっとシンプルに考えられないものでしょうか。

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