デビュー当時を思い出す

手作り教材、教具の断捨離はほぼ終えましたが、残したものを少しでも使いやすくしようと整理中。冬休み中、毎日少しずつテレビを見たり音楽を聴いたりしながらのんびり取り組んでいます。

改めて思い出すのは Hi, friends! が世に出たばかりの頃のこと。We Can! と同様、「新教材が作られる」という情報ばかり先行して、現場からはなかなか全貌が見えず、文科省のホームページに指導案が載ったのもぎりぎりで、いかにも「やっつけ仕事です」がバレバレでしたっけね。音声CDだって最初はないと言っていたのに、結局は教育委員会を通してコピーディスクが後手後手で配られたり、デジタル教材は当時のパソコンでフリーズしまくったり動画と音がずれたりというアクシデントがあちこちで起きましたっけ。

でもそんな Hi, friends! も、最初は使いにくさばかりに目が行ってしまって、私も不平不満をぶつぶつ言ったものですが、2~3年使ううちに「この素材をこう活かせばいいんだ」という勝手がわかってきました。そう考えると、We Can! も今が辛抱しどきで、2~3年経てば慣れてくるかも…と思いたいのですが、そうは行かないのが辛いところ。

検定教科書はどこの社のものを採用しても We Can! よりはマシになるとは思いますが、元々の指導要領に示された内容が「こんなことを小学校で教える必要あるの?」なので、まだまだ(私個人も含めて)現場の苦労は絶えないんだろうな~。でもまあ、自分が現役の指導者でいる間に、今よりももっと楽に授業ができる日が来ることも信じています。(で、そうなった頃に次の指導要領が改訂になるんだろうな…おっと、またまたマイナス思考になっちゃいますねf^^;。その頃は、自分もそろそろ引き時を考える頃かもしれません。あとは中枢となる〇〇調査官に今度こそまともな人が就任することを願うばかりです。)

断捨離・第二弾

冬休みを満喫して(しすぎて?)そろそろ曜日の感覚がなくなってきました。(苦笑)

私が住んでいる地区は明日が年内最後の資源ごみ収集日なので、今日は「自作紙もの教具断捨離第二弾」に勤しんでいます。第一弾は夏休み中に実行するも、まだ1学期が終わった段階では、主に Hi, friends! 仕様で作った教具の中で不必要なものが見極めきれず、残したものも多くあります。

でも2学期を終えて「やっぱりこれ、使わなかったし、もう使わないよね」という物もありますし、来年度のことが少し見えて来てさらに「もういらないよね」という物もわかってきました。ときには頭を痛めて手間をかけて作った物もありますが、使っていればだんだん傷んで来ますし、使わない物を持っていてもしかたありません。長期休業中の断捨離は、たぶん2020年度いっぱいまで続くことになるでしょう。ICTの活用に反比例して、自作の紙物教具は減るでしょうし、余命1年ちょっとの We Can! 仕様のものは基本的に作りません。

少しでも楽しくわかりやすい授業にするために何年も働いてくれた教具に「お疲れ様でした」の気持ちを込めて手放します。

「道案内」のゴール

苦しかった2学期もようやく終わり。私の勤務校は25日に終業式ですが、授業は一昨日で終わっているので、私は一足先に冬休みを迎えています。ホッ。

少し気持ちに余裕ができたところで、自分にとって今年最後の研修から気になったことを書きます。このときは5年生の研究授業の講師で、扱っていた単元は We Can! 1 Unit7 Where is the treasure? でした。事前に送られてきた指導案を見て「ああ、道案内の単元で研究授業をやると、みんなこうなってしまうんだな。」と思いました。体育館や広めの多目的教室のような場所に机や跳び箱や展示版などを並べて即席の街を作って、児童は道案内をする側とされる側に分かれた活動が当たり前のように行われました。スケールが大きく、子どもたちの口も体も動くので見栄えのよい研究授業になることは確かです。ただ、この日もそうでしたが、残念ながら私から見てこの手の活動の成功例はありません。児童の動きがごちゃごちゃになるか、途中から英語が忘れられるか、事前準備や授業中の説明に時間がかかるわりには児童の発話量も、児童の「聞いてわかった」という達成感も少ないのです。

授業後の協議会での先生方の発言を聞いても、こうした大掛かりな活動が道案内の単元の唯一のゴールであるかのように小学校の先生方に刷り込まれてしまっているように思えました。たいてい、こういう活動は道案内をする側の児童Aだけが地図を持っていて、される側の児童Bは何も持っていないか、建物などが記されていない白地図を持たされています。その状態で児童Bは児童Aの Go straight. や Turn right. / left. と言った英語だけを頼りに、机や椅子や展示版の合間をぬって歩いてうまく行った場合のみ目的地(である机や展示版や跳び箱など)にたどり着けます。

実際のコミュニケーションでは、道案内をされる側が地図を持ってはいるけれど今自分がどこにいるかわからないか、道案内をする側とされる側のどちらも地図を持っていない場合がほとんどでしょう。道案内を「する側」だけが地図を持っているのであれば、普通はそれを相手に見せながら道案内をしますよね。

それなのに道案内をする側だけが場所が明確に示された地図を持っていて、それを相手に見せてはいけないという(わりとありがちな)ルールがいかにおかしいか、少し冷静に考えればわかると思います。自分が地図を持っているのに、道に迷って困っている人にそれを見せずに話すのはむしろ意地悪?? We Can! の指導編に単元目標として記されている「他者に配慮しながら」に反していることは言うまでもありません。

こう書くと「施設名や通りの名前が日本語で書かれた地図を外国人に見せて英語で道案内してもわからない」という反論が来そうですが、私は実際に新宿の甲州街道沿いで外国人に道を聞かれ、たまたま持っていた日本語の地図を見せて英語で道案内をしたことがあります。彼らが無事に目的地にたどり着けたかどうかはわかりませんが、少なくとも全く地図なしで案内するよりは成功率は高かったでしょう。

「道案内」の活動として、広い場所で校具を使った定番の活動を否定しているわけではありません。ただ、教師側の労力に見合うだけのコミュニケーション力が児童に身についているかは疑問です。前述の研究授業の協議会では、「平面の地図だけの活動では道案内にはならない。」という旨の発言もありましたが、そもそもここの単元目標は「他者に配慮しながら、場所を尋ねたり道案内をしたりしようとする。」であって「道案内ができる。」ではありません。「道案内ができる」という目標を達成するには、児童を街中に連れて行って、英語はわかるけれど日本語がわからない見ず知らずの外国人に英語で道案内をさせて、その様子を教師が観察しなければなりません。実際にはそんなことはまず無理でしょう。

二次元の地図だけでも道案内の基礎となる表現に十分慣れ親しませることは可能ですし、大掛かりな準備や活動の説明が不要な分、児童の発話量や活動時間が確保できることは言うまでもありません。思い込みを捨てて、発想の転換をしてみませんか?

5年生の質問

もうすぐ2学期も終わり。私も終わりが見えてきて「あともうひと踏ん張り!」と少し気持ちが楽になっています。
今日は水曜日なので本当は出勤日ではないのですが、11月は行事や祝日で金曜日の授業がつぶれることが多かったので、その振替のために出勤しました。

今日、5年生から受けた、くすっと笑える質問2つ。

その1:ある女子から
「先生って、職員室にいるときは日本語で話すんですよね。日本語と英語とどちらの方が得意なんですか?」

その2:ある男子から
「先生の本名って何ですか?」

…いや、別に芸名使ってるわけじゃないんだけど…f^^;。いつも授業のときはファーストネームだけ(Ms. や sensei はつけない)で呼ばせているので、この子が言いたかったのは「本名」というより「フルネーム」のことだったようです。ちなみに、私は文科省案の ~ sensei という呼び方は大嫌いです。英語を話しているときに sensei というのは、日本国内とか特定の状況でしか通用しないわけで、これだけグローバル化と言われている時代に、密室英語のような言い方を教えるのは気持ち悪くてしかたありません。

低学年ならともかく、5年生でこの質問って結構かわいいな~、と思ってしまうのでした。

「ふりまわされている」

今年度に入ってからよく耳にする「ふりまわされている」という言葉。「何に」ふりまわされているかと言うと、その正体は We Can! であることが多く、その他は(文科省発行の)「研修ガイドブック」、(東京都発行の)「研修ハンドブック」等の諸資料です。この「ふりまわされている」というフレーズは小学校の先生方からもJTEからも聞こえてきます。

確かにこの9カ月、色々な小学校で授業を参観させていただくと、まじめで向上心があって未経験の指導内容に真っ向から取り組んでいる指導者ほど、この「ふりまわされている」感が強く、ややもすると「子どもたちのための授業」という大切な視点が抜け落ちているかのようにも思えます。

今年度、移行措置期間1年目に高学年の外国語(活動)で研究授業をされる先生に対しては、私はその意欲(「勇気」と置き換えてもよいかもしれません)だけでも敬意を表したいくらいです。指導力がある先生でも多くの課題が見つかるでしょう。だからこそ研究授業をやる意義があるはずです。やってみないとわからないことは山ほどありますから。

私が偉そうに言える立場でもないのですが、「ふりまわされている」と感じている先生方には「子どもたちのための授業づくり」という基本中の基本に戻っていただきたいと強く願っています。役所から課せられたノルマをこなすかのような授業になってしまっては先生方も苦しいし、何よりも子どもたちのためになりませんよね。

そういう私も、今年度は苦労しています。でも「ふりまわされている」感はありません。たぶんそれは今の苦労が後で実を結ぶことが見通せているのと、子どもたちや小学校の先生のためになっているという実感があるからだと思います。

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