小学校外国語活動を中心に英語教育全般についてつぶやき中(*^_^*)
音読 ≠ 読み聞かせ
2013年06月27日 (木) | 編集 |
先日、ある小学校の外国語活動を参観させていただいたときの話です。このときは研修講師とか助言者として小学校に出向いたわけではなく、放課後にその小学校の先生と後日の研修の打ち合わせをするために出向きました。私が少し早めに学校に着いたため、6校時の6年生の外国語活動を見せていただくことにしました。

授業の終盤、私の姿に気付いた担任の先生が「じゃあ今日は英語の先生が授業を見に来てくださっているので、この絵本を読んでいただきましょう。」とおっしゃったので「え?何で私が!?」という驚きを隠せませんでした。こちらは授業を参観「させていただいている」立場ですし、子どもたちもいるわけですから、その場で読めません、と言うのもどうかと思いましたし、授業者の方のお顔をつぶしてもいけないので、不本意ながら教室の前に出て絵本を読むことにしました。小学生が無理なく理解できる内容の絵本なので音読くらいはしようと思えばできます。でも初見の絵本をいきなり「読み聞かせ」できるほどのスキルは私にはありません。

それから約2週間後。今度はJTEとして勤務している小学校での話です。担任の先生とのティームティーチングですが、その日はたまたまJTEの私が立案も準備もして、どちらかと言えばT1を務める授業でした。それ自体は事前に了解したことなので構わないのですが、外国語活動の授業が始まる直前の休み時間に、またまた担任の先生からびっくりするような一言が…。

「先日注文した絵本が昨日届いたので、今日の授業の最後にこれを読んでください。」あ~、またですか。小学校の外国語活動で45分を前提に立案しても、中休みに子どもどうしが喧嘩をしたとか、今の時期はプールの後などで、その場で予定の内容を削除したり変更したりすることくらいはさすがに私でもできますし、慣れています。とはいえ、絵本は腐るものではありませんから、何もその日に扱わなければいけないという理由はないと思うのですが…。でもまあ、担任の意向に従う、というのがJTEの役割としては建前なので、このときもぶっつけ本番で絵本を「音読」しました。

小学校の先生なら、英語に限ったことではなく国語の授業の一環としての「読み聞かせ」の重要性は十分にわかっているはずですが、「英語が話せる人ならいきなり絵本の読み聞かせを頼んでもちゃんと読んでくれる」と思っているのでしょうか。小学校の先生は、日本語の本なら事前に目を通さず、どんな初見の本でも上手に読み聞かせができるのでしょうか。少なくとも私は何の練習もなしに初見の本を「音読」することはできても「読み聞かせ」をすることはできません。それは日本語でも英語でも、です。

絵本の内容をきちんと理解し、子どもたちにどんな風に聞かせたいかを考えたうえで、それにふさわしい読み方というものが存在します。そのためには練習が必要です。声優が台本さえあればいきなり演技ができるというわけではないのと同じです。単に活字になっているものを音声化するのは「読み聞かせ」とは言えませんし、そんなものは子どもたちに聞かせたくありませんし、子どもたちに対しても失礼だと思います。

おそらく無茶振りをしても快く絵本を読んでくれるALTやJTEもいるでしょうし、初見でも上手に読み聞かせができる人もいるでしょう。でもそういう人はおそらくほんの一握りでしょう。ALTやJTEは「文字→音声化マシーン」ではありません。外国語活動に携わるすべての指導者に「音読 ≠ 読み聞かせ」の意識を持っていただきたいと思います。それにせっかくの絵本教材を活かすなら、本当の意味での「読み聞かせ」を軽視しないでいただきたいとも思います。


「不自然論」への違和感
2013年06月18日 (火) | 編集 |
昨年の7月、当ブログで「児童が別人になって誕生日を尋ね合う活動」を紹介しました。あれから約1年経って、私の考えも少し変わりました。

小規模の学校なら、6年生ともなれば友だちの名前はもちろん誕生日もわかっていることは少なくありません。そのような状況で、本当の誕生日を尋ね合う活動はコミュニケーションとして不自然、あるいは「今さらばかばかしい」という考えも理解できますし、上記のように有名人になりきって別人の誕生日について尋ね合うという活動もそれなりに意味のあることだという考えは変わりません。

一方で、児童が将来的に名前や誕生日や住んでいる所を聞かれたときは、当然のことながら本当の名前を言い、本当の誕生日を答え、実際にそのときに住んでいる場所を答えるはずです。それなら、絶対に一番よく使うものを言う練習を教室でやらないのもおかしな話です。もちろん、ALTやJTE(場合によっては担任)の後に続いて言うだけだったり、名前や誕生日を何度も言ったり、先生や友だちと“When is your birthday?" - "My birthday is ~(自分の誕生日)." を延々とやりとりし合う活動を続けるのは論外です。

ただ、未知の情報を得ることだけがコミュニケーションではないはずですし、「不自然」と言い始めたら、そもそも英語を使わなくても事足りる日本の小学校で日本人の教師と児童がわざわざ英語でやりとりをすること自体、ものすごく不自然と言わざるをえません。小学校で目指すべきは「コミュニケーションの実践の場を提供すること」ではなく「コミュニケーション能力の素地を養うこと」なのですから、教室は「将来、英語で本物のコミュニケーションができるようになるための準備の場」と割り切ってよいのではないでしょうか。「不自然」とか「知っていることを今さら尋ねるのはばかばかしい」ということに過敏になるのも疑問です。

繰り返しになりますが、ときには児童が別人になって、実際とは違う名前や誕生日を尋ね合う活動を否定しているわけではありません。児童が実際に口にする可能性が高い表現を使う場面を軽視してはならないと思うのです。

高学年の児童にとって、日本語でやったらあまりにも簡単すぎる(もっと言ってしまえばばかばかしい、つまらない)ことでも、それを外国語である英語でやることにはちゃんと意味があると思いますし、大人が考えているより、児童にとってはずっとハードルが高いことだってあるはずです。「コミュニケーションとして自然か、不自然か」にこだわり過ぎて、結果として小学校の先生方が苦しい思いをしたり準備に負担がかかってしまうと、先生の方に余裕がなくなり、「積極的にコミュニケーションを図ろうとする」お手本を示せなくなってしまうのではないでしょうか。

私の結びの言葉はこれ… Let's take it easy!

研修中の微笑ましい一コマ
2013年06月09日 (日) | 編集 |
先日、ある小学校に研修に行ったときの話です。たまたま学校からご要望があった内容、そして自分が伝えるべき内容をすべて終えたところでまだ5分ほど時間がありました。こういうときに、何も準備がいらずにすぐできるアクティビティをご紹介することもありますが、このときは研修内容のご要望の中に「ティームティーチングでの担任の役割について」という件があったので、以前このブログでもふれたように、担任の先生には積極的に英語で児童をほめていただきたい、という私からのメッセージを込めて、ほめ言葉の実習をしていただきました。手順は下記の通りです。
  1. 4~5人のグループに分かれる。
  2. グループ内で英語のほめ言葉を出し合い、合計10個出たら “We're finished.” と言って座る。
  3. 各グループでリーダーを決め、グループで出たほめ言葉を2~3個発表する。
  4. 講師の私はその中から、多くの先生に使っていただきたいものを拾って合計10個ほど板書する。
  5. グループで円を作り、リーダーは黒板が見える位置に立つ。他のメンバーは黒板を見ない。
  6. リーダーは板書してあるほめ言葉を言う(読む)。他のメンバーはリーダーの後に続いて言う。 このとき、目の前に児童がいるつもりになって、表情を豊かに、できるだけジェスチャーをつけて言う。
Hi, friends! 指導書の最後にもほめ言葉の例が載っていますが、先生がお一人でこのページを見ながら、まるで高校生が何かを暗記するときのように一人でぶつぶつ練習しても、実際に教室で使えるほめ言葉は身につかないでしょう。大人はついつい文字に頼ってしまうので、あえて文字を見ずに、シャドーボクシングならぬシャドーティーチングのような練習をするのがよいと思います。

さて、上記2.のところで聞こえてきた、あるグループのこんな会話…

“Excellent.” … “Good job!” ... “Well done.” …「え?ウェルダンってお肉の焼き加減の話じゃないの?」「ああ、半生状態のね。」「違う、違う、よく焦げてるやつ」…\(◎o◎)/!

2.のところで次々と座るグループが出る中、このグループは当然のことながらなかなか10個出ずに最後に座ることになりました。でもこの後の6.の実習では一番声が良く出ていて表情もジェスチャーも豊かでした。たぶんこのグループの先生方は次の外国語活動から “Well done.” を使えるようになっていると思います。


2週間前のつづき
2013年06月01日 (土) | 編集 |
約2週間前に予告だけして持ち越してしまった話題です。すみませんf^_^;

自治体が独自に作成した小学校外国語活動のカリキュラムを冊子にすることについての一長一短についてですが、私の手元にある冊子の中で、色々な点で対照的な2つの自治体について比べてみました。 私の個人的な視点に基づく記述であることは最初にお断りしておきます。 (なお、自治体によって「英語活動」「外国語活動」など授業の名称は色々ですが、ここでは「外国語活動」に統一します。)また、どちらの自治体も「英語ノート」や “Hi, friends!” を主教材とはしていません。

≪自治体A≫
  • 小学校全学年で外国語活動を実施
  • 学年ごとの使用教材と時間数は全小学校で共通
  • カリキュラムは毎年見直し、必要に応じて内容を修正したうえで印刷・製本(業者に依頼)
  • 年度が変わると、その都度「○○年度版」が配布される。配布対象は自治体内の小学校の全教員と中学校外国語科の教員
  • 小1~中3までの9年間のカリキュラムが1冊にまとまっている
  • 児童が6年間でどのように外国語によるコミュニケーション能力の素地を養うのかが、一つの流れとなってわかる
  • どの学年で何を学習するか、指導者は何をどのように指導すればよいかが1冊ですべてわかる
  • 年間指導計画の他、指導案のサンプルが全学年分収録されている(中学校は、検定教科書を使わない+1時間の内容について指導案のサンプルを掲載)
  • ALTにも自治体の方針や指導内容が伝わるよう、英文の解説が豊富
  • 教室英語の表現集やふりかえりカードのサンプルが載っているので、学級担任にとっては心強いガイドブックになっている

≪自治体B≫
  • 小学校全学年で外国語活動を実施
  • 全校共通の教材はあるが、使用状況は各校の裁量による
  • 1~4年の実施回数は学校により異なる
  • 低学年は5回分、中学年は10回分、高学年は35回分のレッスンプランが収録されている
  • 上記の計100回分のレッスンプランは、表記や記述の細かさに統一性がなく、複数名で別々に作業をしたことが明白で、6年間の流れがよくわからない
  • レッスンプランの多くは「挨拶→歌・チャンツ→ゲーム→絵本」の流れだが、そうでない回もかなりあるうえに、「歌・チャンツ」「ゲーム」「絵本」をとりあえず並べて45分を埋めている??と思えてしまうページもある。
  • 冊子の扱いに関する説明には “Hi, friends! ” が出てくる一方、高学年のレッスンプランのところどころに「英語ノート」の記述がある(“Hi, friends!” の記述はない)→ある時期以降、見直しがされていない???
  • 中学校との接続が具体的に見えない
自治体A寄りの記述であることは認めますが、どうせ作るなら自治体Aのようなものを作った方がよい、というのが私の意見です。ただ、自治体Aは毎年のように何百冊かを印刷・製本しているのでそれにかかる費用は相当なものだと思います。またまた大きなお世話と思いつつ、自治体Aの冊子について私が一番気になるのはその点です。 一方、自治体Bが発行した冊子は、失礼を承知で申し上げれば、このレベルのものをわざわざ印刷・製本して配るのは時間も紙も諸費用も無駄?と思えてしまうのです。

「拘束力」という言葉が妥当かどうかはわかりませんが、その冊子にどれだけ忠実に沿って各校が外国語活動を実施することが求められているかという点では自治体Aの方が「拘束力高め」です。ただ、指導案についてはあくまでもサンプルなので、45分の流れについては各校の実情に合わせて立案が可能です。

自治体Bは拘束力低めなうえに、100回分もの指導案が示されているので、担任の先生にとっては一見ありがたく思えます。多くの担任は児童の実態に合っているかどうかもあまり考えることなく「この通りに」進めてしまうでしょう。ところが上述した通り、例えば高学年なら35ページにわたる指導案は、複数の執筆者の力量の差が歴然としていますし、年間を通しての系統性が見えにくく、この通りに指導して子どもたちに本当に何が残るのか疑問が残ります。

ひとたび冊子ができてしまうとその見栄えの良さに満足してしまってなかなか改訂作業に取り掛かれないのは心情的にわかります。ただ、カリキュラムというものは最終的には学習者にとって利益になるように、学習者にとって利益になるから作成されるべきものであって、教育委員会関係者や「○○委員」だの「□□プロジェクトメンバー」といった肩書を持つ人たちの業績のためや自己満足のために作られて、はい終わり、であってはなりません。

仮に私がどこかの自治体で、外国語活動のカリキュラムについて最終的かつ最高の権限を持つ人間であったとしたら、冊子化は考えないと思います。デジタルデータ化して、指導者には必要なときに必要なページだけ印刷してもらい、柱となる方針はぶれることなく、でも教室での実際の声を活かしてきめ細かに修正を加える方が得策のような気がします。もちろんそのためにはカリキュラム作成と改訂のスペシャリストが必要です。そういうスペシャリストが各自治体に根付く日が来てくれるといいなあ…。