シンポジウムレポート

3日遅れの投稿ですみません。3日前の日曜日に行われた J-SHINE シンポジウムについてです。感想を一言で表すなら「J-SHINEさん、アルクさん、ありがと~♪ 行って良かった!」です。

自由席だったので少し早めに行って、スクリーンが見やすい最前列に座りました。机上にはメモパッド、フリクションペン、緑茶のペットボトル、資料が置かれていました。ここで初めて「あ、筆記用具忘れた。」と気が付いたのでお土産にペンを頂けたのがありがたかったです。(ノートは持って来たくせに…。おかげで近くのコンビニに走らなくて済みました。)

机上の資料で驚いたのは J-SHINEとアルクが共同で行った調査のレポート冊子(74ページ)でした。司会の方は「お荷物が増えて申し訳ありません。」とおっしゃっていましたが、「いえいえ、これを頂けるなんてありがとうございます♪」という気持ちでした。この日は調査結果の概要報告が30分弱で行われましたが、その際に使用されたパワーポイントのスライドをまとめたものも頂けたので、まずはざっくりと全体像を掴んで、その後で冊子にじっくり目を通すと J-SHINE 資格取得者の活躍ぶりや小学校英語教育、さらには日本の児童英語教育の現状が見えて来ます。(もちろん、この調査結果がすべてではありませんが、自分のごく限られた行動範囲ではわからない実情もわかり、勉強になります。)

なお、この調査結果と分析については J-SHINEのホームページのトップからリンクが張られていますので、関心のある方はぜひご覧ください。

後半のパネルディスカッションもあっと言う間の1時間40分でした。パネリストの人選も良かったと思います。研究指定校などの特別な学校ではなく、大都市でもへき地でもなく、ほどよい「中間」をねらっていました。小学校の校長先生、元々は中学校の英語の先生で昨年度まで市教委で指導主事をしていらした小学校の校長先生、英語専科でも英語教育推進リーダーでもないけれど外国語活動に前向きに取り組んでいらっしゃる小学校の先生、かつて東京都教育委員会にお勤めだった大学の先生、のように現場と行政の両方の視点で語っていただけたのが良かったです。

この日、印象に残った二言。

Learning by Doing
子どもは自分の話を聞いてくれる大人を信頼する

なぜ指導案を作るのか?

前回の投稿でふれた研修でのできごとで、思い出したことがあるので付け加えます。

研修に参加していたあるJTEがこんな発言をしていました。「担任との打ち合わせの時間が取れないので、指導案を作ることで何とかティーム・ティーチングができるように頑張っている。担任に言ってほしい英語はすべてスクリプトを書いて渡しているのに全然読んでくれない。こっちは自宅での作業はすべて無償でやっているのに。」

もう少し詳しく尋ねてみると、1回分の授業につき、スクリプト入りの指導案はA4判で4~5枚とのことでした。その方のボランティア精神は立派ですが、ただでさえ忙しい小学校の教師、それも特に英語が苦手だと思っている担任がA4判4~5枚に(おそらく)英語がびっしり書かれたものを読む気にはならないでしょうし、見たとしても覚えられるはずなどありませんから授業中に指導案を手に持ってほぼ棒読みになるか、早々に諦めて「それならむしろ文科省が作った指導案を見ながら、自分が日本語を使って必要なところだけJTEに言ってもらった方が楽」となるのではないでしょうか。英語が苦手でもデジタル教材を使うことに抵抗がない先生ならなおさらです。

担任との打ち合わせ時間が取れないから指導案を作って対応する、というのは解決策としては王道でしょう。ただ、なぜ担任との打ち合わせ時間が取れないのか、そこまで考えてみた方がよいと思います。単に担任とJTEの時間が合わないだけでなく、とにかく担任は忙しい!忙しいからJTEにおんぶに抱っこでよいというものではありませんが、打ち合わせなしでもティーム・ティーチングの質を上げようと思ったら、むしろ担任が短時間で45分の流れや自分の役割が頭に入るように指導案そのものを超シンプルに、できればA4判1ページに収まるような略案にするのが理想でしょう。指導案を作る目的は、担任にたくさん英語を使わせるためではありませんよね。

補足すると、担任が話す英語の量を増やすには時間もかかりますし、少なくとも丁寧なスクリプトを作って渡す、のはあまり効果的とは思えません。それよりもJTEができるだけ簡潔な教室英語を、児童にも無理なくわかるくらいのスピードで言って、担任にその場でまねてもらう、という方法もあります。そのためにはJTEが間を置かずにしゃべり続けることがないよう注意が必要です。やや不自然な流れにはなりますが、2人の別々の先生の口から同じ英語が繰り返し出て来ても、子どもはさほど気にしないと思います。担任がやるべき業務を終えてからさらに英語のスキルアップのために時間を割くことはほぼ不可能に近いでしょうから、On the Job で児童と一緒に授業中に少しずつ英語力をつけるのが現実的なのではないでしょうか。

基本を忘れずに

先日、都内のある自治体の教育委員会が主催するJTE対象の研修に行って参りました。と言っても講師の立場ではありません。

研修の前半は参加者が児童役になり、会場校の担任とJTEのティーム・ティーチングの模擬授業が行われ、その後で担任からの解説と質疑応答の時間が設けられました。後半は参加者が5~6名のグループに分かれて授業についてのディスカッションが行われる…はずでした。「はずでした」と書いたのは、授業についての建設的なディスカッションがほとんど行われず、勤務校の愚痴や教育委員会への不満が大半を占めていたからです。授業についての意見や感想もちらほら出ましたが、私から見れば的外れな内容も目立ちました。

的外れの大きな原因は参加者が学習指導要領をきちんと理解していないことでした。「小学校の英語はここまでを勉強する、というのを国とか教育委員会がちゃんと決めてくれないとね。」ともっともらしい顔をして発言している人がいたのにはびっくりしました( ゚Д゚)

今まで、小学校の先生と中学校英語科の先生が集まる研修でも、建設的な意見交換ではなく井戸端会議のような論争(?)に出会ってきました。結局はそれも学習指導要領の存在が忘れられていることが一番の原因に思われました。中学校の先生が小学校学習指導要領もろくに読まずに一方的に押し付ける、小学校の先生も指導要領をきちんと読んでいれば反論できるのに、それができずに言いなりになってしまうか、後から小学校の先生どうしで愚痴をこぼし合っています。こんなことでは小中連携なんて上手く行くはずがありませんし、そもそも研修というのは教師の指導力を上げて最終的には子どもに力をつけることが目的なのに、これでは子どもたちに何のプラスにもなりません。

肩書や立場の違いはあっても、小学校英語教育に関わる人は学習指導要領に(熟読はしなくても)目を通すくらいのことはしないと、いつまでたってもこういう不毛な話し合いはなくならないでしょう。

電車のお医者さん

勤務校の6年は色々訳あって、今は We Can!2 Unit8 What do you want to be? をやっています。先日の授業で Let's Listen をやりました。3人の子どもの会話を聞いて、各自の将来の夢とその理由を聞いて日本語で表に書き入れる課題が与えられています。

最初はこれを授業で扱うかどうか迷いました。pianist, train conductor という未習語が出て来るからです。pianist は推測可能でしょうが、train conductor がわかる児童はほぼいません。知らない単語が出てきたら、それで諦めてしまう児童がいないよう、音声を聞かせる前に「Aoi と Satoshi がなりたい職業の言い方はまだ習っていないけど、他の聞き取れたところから推測してみましょう。」と言ってから再生をしました。

何回か聞いた後、全員で確認をする際は Satoshi の将来の夢をいきなりたずねるのではなく、「この子が好きなものは何?」を先にききました。するとこちらはほとんどの児童が「電車」と答えました。そこから「電車が好きな男の子が将来なりたいものって何だろう?」とたずねて行くと、「運転士」「車掌」「駅員さん」「いっぱい線を引いて電車が何時何分に動くか決める人」など、予想通りの答えが上がりました。それに混じって、3クラスすべてで似たようなつぶやき(というかほとんど独り言?)をした子がいました(クラスによっては数名)。彼らが考えた職業は「整備士」でした。(「整備士」という言葉が思い浮かばず、「電車の点検とか修理をする人」と書いていた子もいました。)彼らのつぶやきから思考回路を整理すると…「train と doctor みたいに聞こえた」☞「電車のお医者さん」☞「ってことは電車を修理する人」(子どもによってはここまで)☞「あ、整備士のことか」

これがリスニングテストであればもちろん不正解なのですが、conductor という未知の(それも小学生には難しい)単語の強く発音された部分をキャッチし、doctor と解釈し、train と結び付けて子どもなりに答えを出した姿勢は拍手ものです。新学習指導要領で言われている「学びに向かう力」ってこういうことなのではないでしょうか?

日頃から児童をよく観察し、ほんの小さなこういうつぶやきも拾えるくらい高くアンテナを張っている担任は「間違っていても、聞こえた単語から一生懸命推測することが大事なんだよ」という的確な評価を絶妙なタイミングで子どもたちに返していました。

2019 J-SHINE シンポジウム

2019年J-SHINEシンポジウム「2020年 小学校英語教科化に向けた体制作り」が12月8日(日)に東京・神田で開催されます。

詳細はこちら

http://www.j-shine.org/2019/10/21/【お知らせ】全国シンポジウム報告会の開催につ-2

私が申し込んだのは数日前。上記のお知らせが J-SHINE のホームページに掲載されたのが10月21日付だったので「出遅れたか?」と思ったのですが、さきほど事務局からメールが届いて参加できることになりました。定員80名なので、参加ご希望の方はお早目に申し込まれた方がよいかもしれません。

他人の痛みがわかる?

勤務校は先週の土曜日から昨日まで学校公開日でした。昨日は6年の外国語活動があり、どのクラスも2~3名の保護者の方が参観にいらしていました。それに混じって、低学年の担任の先生も授業の一部ですが見学に来ていました。完全教科化を目前に「もし来年度、自分が高学年になったら…。」という意識をお持ちのようで、これはよい傾向だと思っています。

私は授業公開日ということすら忘れていて(苦笑)、学校に着いてから「あ、今日はちゃんとテーラードジャケットを着ていてよかった。」と思う程度で、もちろん授業は保護者が見ているからと言って特別なこともせずいつも通りでした…いえ、正確に言えば普段に比べると反省点の多い授業でした。参観してくださった低学年の担任の先生は「素晴らしい授業を見せていただいてとても勉強になりました。自分もこういう授業ができるように頑張りたいです。」と言っていましたが、問題点にも気づいてほしかったです。(気づいていても私に言えなかっただけ、というのであれば構わないのですが…。)

終わってから「ああすればよかった、こうすべきだった。」と考えているときは気が重いのも確かですが、こういう失敗があったり指導の難しさを実際に体験したりしているからこそ、他校に研修に出向いたときに先生方の大変さを理解した上での助言もできるのかな、とも思っています…って都合良過ぎ!?f^^; それくらい前向きに考えないと薄給でこの仕事はやってらんないよね~(苦笑)。

安心

先日、このブログにも書きました「英語教育ソリューションセミナー2019」に行って参りました。このイベントの一番のターゲットは民間の子ども向け英語教室の先生なのかな、というのがざっくりの感想です。だからと言ってもちろん私のように公立小学校での指導や先生方への研修を生業としている者が部外者というわけではありません。朝一番の金森先生のご講演の後で教材展示ブースを回りましたが、どのブースに行っても「教えている対象は何歳ですか?」「どんな教材をお探しですか?」とお決まりのように話かけられるのがややうっとうしく感じられました。静かにゆっくり教材を見させて!というのが本音です。子どもに教えているのは公立小学校の高学年だけですし、そもそも自分で教材を選べるわけでもないし、強いて言えば毎年行っている離島の小学校で授業をするときに使えそうな絵本があったらいいな、くらいの気持ちでした。

もっとも一番の目的は教材探しではなく金森強先生の講演だったので、会場の滞在時間はほんの2時間程度でしたがそれでも大満足です。金森先生、やはり合います。何が合うって英語教育の思想が。多数か少数かという数だけで分類すると少数派と思われるような意見も金森先生はスパッと言ってくださるので気持ちよいこと!1時間半という限られた時間で次々と飛び出した格言の中で、心に一番残ったのが「Small Talk 撲滅運動」。

Small Talk 自体を否定するつもりはありません。(たぶんそれは金森先生も同じでしょう。)ただ、学習指導要領改訂で「読むこと」「書くこと」「主体的な学び」などに比べると、 Small Talk は突然降って湧いて来た感が否めません。小学校の先生にこれをやれ、というのはかなり酷だと思いますし、ALTや英語専科のように英語が堪能な指導者がいたとしても45分という限られた時間で小学生相手に Small Talk を入れることが本当に有効なのか、もっと優先順位の高い指導内容や活動があるはず、とずーっと思っていたので、「あ、私だけじゃなかったんだ。」と安心したのが正直な感想です。(学習指導要領や学習指導要領解説本文には Small Talk という用語は出て来ないのに、研修ガイドブックでは Small Talk が独立した項目で扱われていることが違和感以外の何物でもありませんでした。)

でも今日の講演で金森先生が一番おっしゃりたかったのはこの点ではないことも確かです(笑)。変なところでハマってしまってすみませんf^^;

それよりも問題なのは…

昨日は勤務校で久しぶりにA先生と組みました。5年某組担任のO先生が出張のため、今年度4年担任のA先生(ご自分の学級は音楽)が補教で入ってくださいました。A先生は昨年度5年の担任で、1年間一緒に楽しく授業をしてきました。

授業が終わった後、A先生が呟いた一言。「去年の5年よりさらに難しくなっているんですね。これを担任1人で教えろって、無理でしょう。」

A先生、これが移行措置の現実なんです。来年度の5年はさらに難しくなります。でも一番の問題は担任単独とかティーム・ティーチングとか、指導者の問題ではなく指導内容だと思います。がっつり勉強した(はずの)英語専科が教えるにしても、小学生が年間たった70時間で学ぶには難しすぎるし多すぎるんです。

勉強じゃない授業??

先日、勤務校での給食の時間に向かいの席にいた図工専科の同僚がボソッと呟きました。
「自分が初任のときは『小学校の英語は勉強にしちゃいけない』って研修で言われたのに、もう来年から勉強になるんだよね。」

えっ 彼が言おうとしていることはわからなくもありませんし、彼を責めるつもりはありません。もしかしたらちょっとした勘違いかもしれません。でも本当に、初任者相手に「小学校の英語は勉強にしちゃいけない」と言った講師がいたとしたら苦言を呈したいところです。

確かにまだ外国語活動が必修化すらされていない頃(多くの小学校で総合的な学習の時間の中で英語活動が行われていた頃)は、「小学校の英語はとにかく楽しく」が最前面に出ていて、歌や絵本に加えてゲームが中心という授業がほとんどだったでしょう。でも学校の教育活動の一部として授業時間を使って行われる以上、遊びの中に「学び」や「勉強」はなければいけなかったはずです。公立小学校における英語教育の出発段階からこのような誤解が刷り込まれてしまったために、いつまでも中学校との連携がうまく行かない、必修化さらに教科化が決まっても教員の意識が変わらない、といった弊害が起こっているのではないでしょうか。

私は小学校外国語活動が必修化される前から小学校の先生方やJTEの方々に研修をしてきましたが、そのときから「楽しいだけではだめ、お遊びだけでもだめ、楽しい中にも必ず学びを」ということを申し上げてきました。「ただのお遊びで45分を過ごすくらいなら、その時間を国語や算数に充てたいと思っている担任の先生(特に高学年)もいらっしゃると思います。」と述べると、多くの小学校の先生はうなずいていらっしゃいました。

逆に、来年度から高学年で完全教科化されたとしても「楽しい学び」をなくす必要はありませんし、なくしてはいけないとも思います。

高級ベッド!?

台風19号が接近しています。今日は勤務校でいつも通りに授業をして帰ってきましたが、いつもと違うのはその後。さきほどまで窓ガラスに飛散防止フィルムや養生テープを貼る作業をしていました。慣れない作業にちょっと疲れました…

一段落ついてふっと思い出したのが今日の出来事。5年は We Can!1の Unit4をやっているのですが、今日のふりかえりカードの自由記述欄で、思わず吹き出してしまうものがありました。

「go to bed が最初は『高級ベッド』に聞こえました。」

…(-_-メ)…ごめん、先生の発音、そんなに悪いかな…!?

台風の被害ができる限り少なくて、明日の夜から明後日の朝にかけてぐっすり眠れて、日曜日の朝起きたら「あ、台風行っちゃった。」ぐらいになっていてほしいな…。

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